サロン 「キハ80・181系」

このコーナーは写真集に未収録の新旧作品HP更新前の第9〜13回を紹介します。第14回以降の写真はページ下のボタンをクリックしてください。

第9回は平成14年に運転された“リバイバルやくも”を特集しました。


キハ181系 “リバイバルやくも” 日羽〜豪渓間にて 2002,4,27
20年ぶりとなるキハ181系“やくも”のリバイバル運転は、その後の山陰リバイバルブームの口火となりました。


キハ181系 “リバイバルやくも” 黒坂〜根雨間にて 2002,3,17
キハ181系“やくも”現役当時には超望遠レンズをまだ持っていなかった私が、今回のリバイバル運転で一番撮りたかったアングルです。


キハ181系 “リバイバルやくも” 総社〜豪渓間にて 2002,3,30
往年のキサシ180を含む11両編成にはほど遠い編成でしたが、伯備線で再び魅せたその勇姿に感動しました。


キハ181系 “リバイバルやくも” 岸本〜伯耆大山間にて 2002,3,16
この“リバイバルやくも”は3月と4月にわたって数回運転され、沿線でのファンの人気の高さを再認識しました。


第10回


キハ80系 “北海” 函館にて 1982,8
青函連絡船からこのホームに降り立つと、毎回出迎えてくれるのがこのキハ80系と函館山でした。


キハ181系 “あさしお” 泊〜松崎間にて 1996,1,15
冬の柔らかな日差しの中を行く“あさしお”。この撮影地も日中は魅力的な被写体がなく寂しくなりました。


キハ181系 “やくも” 黒坂〜根雨間にて 1981,12,7
陰陽連絡特急“やくも”のキサシ・キロを組み込んだ編成美が、雪景色に一段と映えます。


キハ181系 “おき” 青野山〜日原間にて 2001,5,4
通常“おき”の編成は3両でしたが、多客期には5両編成での運転が実施されていました。


第11回


キハ80系 “南紀” 栃原〜川添間にて 1992,3
大学卒業後しばらく紀勢本線のキハ80系とは疎遠だったのですが、終焉の頃は惹かれるように遠征しました。


キハ181系 “おき” 田儀〜波根間にて 1984,8
盛夏の太陽がようやく地平線に傾き始める頃、本日最後の撮影被写体が眼前を通過していきます。


キハ181系 “はまかぜ” 生野〜新井間にて 1996,5,6
ロケハンで目にとまった錆止め塗色を施したトラス橋です。


キハ181系 “いなば” 河原〜国英間にて 2000,1,2
この日の午後は冬の山陰にしては珍しい快晴、正月気分もそこそこに因美線へと向かいました。


第12回は平成17年3月改正で消滅した“いそかぜ”を特集しました。


キハ181系 “いそかぜ” 江崎〜須佐間にて 2002,10,5
“いそかぜ”のヘッドマークは日本海の荒波を受ける大岩がデザインされていました。


キハ181系 “いそかぜ” 米子〜安来間にて 1994,4,3
ヘッドマーク盗難によって採用されたオレンジを基調としたHMバージョンです。


キハ181系 “いそかぜ” 小田〜田儀間にて 1994,8,16
こちらはグリーンを基調としたHMバージョンです。正規のデザインと比較して簡略化されていました。


キハ181系 “いそかぜ” 戸田小浜〜飯浦間にて 2000,7,9
“いそかぜ”は昭和40年10月改正で誕生した大阪〜宮崎間のキハ80系特急の愛称名でした。


キハ181系 “いそかぜ” 小田〜田儀間にて 1994,1,9
昭和43年10月改正でキハ80系“いそかぜ”は運転終了、その後昭和60年3月改正で米子〜博多間のキハ181系特急として愛称名が復活しました。


キハ181系 “いそかぜ”とキハ181系 “おき” 乃木にて
山陰本線西部地区の僚友であったキハ181系 “おき”の跡を追うように平成17年3月改正にて終焉を迎えました。


第13回


キハ80系 “南紀” 1992,3,2
“南紀”のヘッドマークは那智の滝が図案化されていました。


キハ181系 “はまかぜ” 松崎〜倉吉間にて 
キハ181系“はまかぜ”は米子・倉吉・鳥取各駅発着運転の時期がありました。


キハ181系 “おき” 周布〜折居間にて 1991,8,15
出雲市〜益田の区間は日本海の車窓を楽しむために、“おき”は海側の席に人気がありました。


キハ181系 “あさしお”とキハ181系“まつかぜ” 香住にて 1985,3
昭和60年3月改正により全気動車特急のヘッドマークがイラスト化されました。まだ真新しいHMを装着して間もないい頃の並びです。


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