サロン 「キハ80・181系」
このコーナーは写真集「魅惑のキハ80・181系」に未収録の作品の第11〜20回を紹介します。
第11回
キハ80系 “南紀” 栃原〜川添間にて 1992,3
キハ181系 “おき” 田儀〜波根間にて 1984,8
大学卒業後しばらく紀勢本線のキハ80系とは疎遠だったのですが、終焉の頃は惹かれるように遠征しました。
盛夏の太陽がようやく地平線に傾き始める頃、本日最後の撮影被写体が眼前を通過していきます。
キハ181系 “はまかぜ” 生野〜新井間にて
1996,5,6
キハ181系 “いなば” 河原〜国英間にて 2000,1,2
ロケハンで目にとまった錆止め塗色を施したトラス
橋です。
この日の午後は冬の山陰にしては珍しい快晴、正月気分もそこそこに因
美線へと向かいました。
第12回は平成17年3月改正で消滅した“いそかぜ”を特集しました。
キハ181系 “いそかぜ” 江崎〜須佐間にて 2002,10,5
キハ181系 “いそかぜ” 米子〜安来間にて
1994,4,3
“いそかぜ”のヘッドマークは日本海の荒波を受ける大岩がデザインさ
れていました。
ヘッドマーク盗難によって採用されたオレンジを基調としたHMバージョンです。
キハ181系 “いそかぜ” 小田〜田儀間にて
1994,8,16
キハ181系 “いそかぜ” 戸田小浜〜飯浦間にて
2000,7,9
こちらはグリーンを基調としたHMバージョンです。正規のデザインと比較して簡略化されていました。
“いそかぜ”は昭和40年10月改正で誕生した大阪〜宮崎間のキハ80系特急の愛称名でした。
キハ181系 “いそかぜ” 小田〜田儀間にて 1994,1,9
キハ181系 “いそかぜ”とキハ181系 “おき” 乃木にて
昭和43年10月改正でキハ80系“いそかぜ”は運転終了、その後昭和60年3月改正で米子〜博多間のキハ181系特急として愛称名が復活しました。
山陰本線西部地区の僚友であったキハ181系 “おき”の跡を追うように平成17年3月改正にて終焉を迎えました。
第13回
キハ181系 “はまかぜ” 松崎〜倉吉間にて
キハ80系 “南紀” 1992,3,2
キハ181系“はまかぜ”は米子・倉吉・鳥取各駅発着運転の時期がありま
した。
“南紀”のヘッドマークは那智の滝が図案化されて
いました。
キハ181系 “おき” 周布〜折居間にて 1991,8,15
キハ181系 “あさしお”とキハ181系“まつかぜ” 香住にて 1985,3
出雲市〜益田の区間は日本海の車窓を楽しむために、“おき”は海側の席に人気がありました。
昭和60年3月改正により全気動車特急のヘッドマークがイラスト化されました。まだ真新しいHMを装着して間もないい頃の並びです。
第14回
キハ181系 “まつかぜ” 鳥取にて 1983,2
キハ181系 “あさしお” 松崎〜倉吉間にて 1987,5,4
鳥取駅に進入する“まつかぜ”。鳥取駅で私の乗車している普通列車が“まつかぜ”に進路を譲る間の撮影でした。
キハ181系時代の“あさしお”は需要に応じて編成両数を調整しながら運転されました。
キハ181系 “いなば” 2001,8,16
キハ181系 “くにびき” 小田〜田儀間にて 1994,8,14
鳥取〜智頭間はカーブの多い因美線を走行した“いな
ば”。
“くにびき”はJR化後に山陰に初登場したキハ181系特急の愛称となり
ました。
第15回
キハ181系 “あさしお” 赤碕〜中山口間にて 1983
キハ80系 “南紀” 阿曽〜伊勢柏崎間にて 1992,1,5
キハ80系からキハ181系に置き換えられて間もない頃、一部のHMにはキハ80系で使用されていた“あさしお”マーク(逆台形)がそのまま使用されていました。
キハ80系“南紀”の末期は通常4両編成で運転されていましたが、多客期は2両増結されていました。
キハ181系 “はくと” 2001,4,8
キハ181系 “はまかぜ” 淀江〜伯耆大山間にて 1993,6,12
この頃の“はくと”はすでに臨時列車へ格下げとなり、3
両という短編成での運転でした。
最後のキハ181系定期特急仕業となった“はまかぜ”。晩年は塗色が
JR西日本カラーとなりました。
第16回
キハ80系 “まつかぜ” 淀江〜伯耆大山間にて 1985,3
キハ181系 “あさしお” 浜坂〜久谷間にて
“出雲”の撮影地として有名になったこの中間跨線橋は、本来キハ80系“まつかぜ”の順光撮影場所でした。
キハ181系特急列車の中で私が一番多く乗車機会を得たのがこの“あさしお”でした。
キハ181系 “おき” 2001,7,2
キハ181系 “いなば” 山郷〜恋山形間にて 2001,8
この“おき”のHMは新調されたタイプでオリジナル
とは若干色彩が異なりました。
智頭急行線内を行く“いなば”。そのスピード感はファインダー越しでも十分
に伝わってきました。
第17回
キハ181系 “南風” 吾桑付近にて
キハ181系 “まつかぜ” 下市〜御来屋間にて 1985,6
瀬戸大橋線が開業するまでは、高知〜中村間もキハ181系“南風”の運転エリアでした。
キハ181に列車無線アンテナを搭載する以前の美しいオリジナルスタイルでも“まつかぜ”は運転されました。
キハ181系 “はくと” 因幡社〜智頭間にて
キハ181系 “はまかぜ” 1993,6,9
5両ながらも中間にグリーン車を連結し、優等列車であることを感じさせてくれる編成でした。
観光資源として注目が集まる餘部橋梁。現在はコンクリート橋になりましたが、観光客の姿は絶えることがありません。
第18回
キハ80系 “まつかぜ” 淀江にて 1984,2
キハ181系 “あさしお” 赤碕〜中山口間にて 1
985
乗車した普通列車が淀江駅で“まつかぜ”待避の長時間停車をします。私
は最後尾の車輌の貫通路からカメラを構えてこのカットを撮影しました。雑
客時代ならではの撮影ポジションでした。
米子駅7時発のダイヤはキハ80系時代からの踏
襲ダイヤでした。
キハ181系 “いそかぜ” 玉造温泉〜来待間にて 1993,2,6
キハ181系 “おき” 折居〜三保三隅間にて 2000,1,3
キハ80系と一線を画するスタイリッシュなフォルムは多くのファンに支持され続けています。
冬の山陰にしては珍しい快晴でした。しかし風は強く、いい白波が立ってくれました。
第19回は保津峡を特集しました
キハ80系 “あさしお” 1982,3
キハ181系 “あさしお” 1984
保津峡は在京時代の鳥取へ帰省する際、気軽に立ち寄れる景勝地でした。山峡のホームに降り立つと、すでにそこは撮影地でした。
“あさしお”が進入する保津峡駅を一望できる地点からの俯瞰撮影。駅を出るとすぐに渡る吊り橋が印象的でした。
キハ181系 “あさしお”
キハ181系 “あさしお” 1984
川岸に降りると大きな岩石が数多くあり、周囲を威圧するような景観の中で
“あさしお”を撮影しました。
保津峡で私が“あさしお”を撮影したのはこの年が
最後となりました。
第20回
キハ181系 “まつかぜ” 倉吉〜下北条間にて 1984,3
キハ80系 “おおとり” 落部〜野田生間にて 19
83,8
キハ80系博多“まつかぜ”を補完する形でキハ181系米子“まつかぜ”は運
転されていました。
内浦湾を行く“おおとり”にとっては終点網走へのま
だ序章でした。
キハ181系 “いなば” 浦安〜由良間にて 1996,7
キハ181系 “おき”
米子〜鳥取間運転時代“いなば”はビジネス指向の特急列車でした。県庁
所在地鳥取市への通勤客対応でした。
ヘッドマークは日本海の隠岐諸島の島前・島後で
す。
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