サロン 「キハ80・181系」

 このコーナーは写真集に未収録の新旧作品HP更新前の第4〜8回紹介します。第9回以降の写真はページ下のボタンをクリックしてください。

第4回


キハ80系 “南紀” 徳和〜多気間にて 1983,8
 昭和53年10月改正の“くろしお”381系化により捻出されたキハ80系を
使用し、6両編成でスタートしました。


キハ80系 “まつかぜ” 田儀〜波根間にて 1984,5,3
 風光明媚な山陰海岸は、長距離の旅客にとってずいぶん安らぎをあたえて
くれたことでしょう。


キハ181系 “おき” 本俣賀〜益田間にて 2001,5
 キハ80系時代から通い慣れたこの山口線も、平成13年7月改正をもって
キハ181系の定期仕業が終了しました。


キハ181系 “くにびき” 淀江〜伯耆大山間にて 2001,7,4
 まもなく新型車輌キハ187系に置き換えられる前の“くにびき”仕業で、最後
の力走を見せました。


第5回


キハ80系 “北斗” 大沼付近にて 1983,8,6
 青函連絡船で渡道したキハ80系の乗客の目を引く最初の風景が、この大
沼公園の大自然でした。


キハ181系 “まつかぜ” 香住〜鎧間にて 1985,8
 “まつかぜ”の愛称はJRへの移行を待つことなく、国鉄時代で終焉を迎える
ことになりました。


キハ181系 “あさしお” 久谷〜浜坂間にて 1985,8
 京都〜城崎・倉吉・米子間を4往復運転。途中3回方向転換する列車もあり、
複雑な運用で編成順を調整しました。


キハ181系 “いそかぜ” 江崎〜須佐間にて 2002,10,5
 “いなば”なきあと“いそかぜ”が唯一のキハ181系国鉄色定期特急となりま
したが、ついに“いそかぜ”も平成17年3月改正で消滅しました。


第6回


キハ80系 “南紀” 三瀬谷〜滝原間にて 1984,11,3
 紀伊山地の深緑に一際映えるキハ80系のカラーリング。“南紀”はロケーシ
ョンに恵まれていました。


キハ181系 “やくも”とキハ80系 “まつかぜ” 伯耆大山〜米子間にて 19
78
 山陰のキハ80・181系全盛期、“やくも”と“まつかぜ”が複線区間で離合す
る華やかシーンです。


キハ181系 “はまかぜ” 青倉〜竹田間にて 2000,8,15
 臨時ながらも国鉄色が復活し、往年を彷彿させる文字タイプのHMでした。


キハ181系 “いなば” 因幡社〜智頭間にて 2000,4
 鳥取〜上郡間を智頭急行HOT7000系と競合したキハ181系“いなば”。こ
の競合も終焉を迎えることに…。


第7回は“いなば”を特集しました。


キハ181系 “いなば” 淀江〜伯耆大山間にて 1997,5,28
 昭和53年10月改正以前に“いなば”はブルトレの愛称としても使用されてい
ましたが、平成8年3月改正でその愛称がキハ181系特急として復活しました。


キハ181系 “いなば” 松崎〜倉吉間にて 1996,4,14
 米子〜鳥取間の運転はわずか1年半で終了し、その愛称は鳥取〜岡山間の
特急へと引き継がれました。


キハ181系 “いなば” 河原〜国英間にて 1998,3,3
 活躍の舞台を因美・智頭・山陽線へ移し、HMのデザインも一新されて白兎と
鳥取砂丘が図案化されました。


キハ181系 “いなば” 青谷〜泊間にて 1999,4,29
 週末には鳥取〜倉吉間の延長運転が実施されていました。


第8回は“まつかぜ”を特集しました。


キハ80系 “まつかぜ” 赤碕〜中山口間にて 1984,8,12
 キハ80系“まつかぜ”は、本州を走行するキハ80系特急としては食堂車を
営業した最後の列車となりました。


キハ181系 “まつかぜ” 宝木にて 1984,3,26
 昭和57年7月改正の“やくも”381系化によって捻出されたキハ181系を使
用して運転を開始しました。この時代はキハ80系とキハ181系による“まつか
ぜ”が競演しました。


キハ181系 “まつかぜ” 名和〜大山口間にて 1985,8
 昭和60年3月改正でついにキハ80系による“まつかぜ”の運用は終焉を迎
え、キハ181系のみによる運転が昭和61年11月改正まで続きました。


キハ181系 “まつかぜ” 名和〜大山口間にて 1985,12
 昭和61年11月改正によって“まつかぜ”の愛称名は、時刻表から17年間姿
を消すことになりました。


サロン「キハ80・181系」第9〜13回へ
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