以西地区 20世紀記録写真集

鳥取県中部に位置する赤碕町以西地区(10の部落、約260世帯の山村)の20世紀の記録です。
以西村郷土誌と共にご覧下さい。写真をクリックすれば拡大写真を見ることが出来ます。

1940年(昭和15年)御真影奉安殿基礎工事。石垣の石は船上山から運んだ。
(在郷軍人会勤労奉仕記念撮影)
戦時中、天皇皇后両陛下の御真影を奉納していた奉安殿。1941年(昭和16年)上棟。後ろは以西小学校。 奉安殿横で撮影。戦後移築して村役場の倉庫となり、今は国実神社に残る。石垣は現在も築山として残る。
以西小学校旧校舎 1923年(大正12年)から1953年(昭和28年)まで
右の石のある所に奉安殿があった。前の道は池田家の前の旧県道
1899年(明治32年)建築の以西小学校校舎(正面玄関)。その後、児童数増により増改築を繰り返す。
1970年代、今地坂(宮木東山)の工事 1933年(昭和8年)8月16日、澄宮殿下(現三笠宮)が船上山登山の際、以西小学校で休憩された。 同左 澄宮殿下が休憩、食事された部屋(北校舎)
昭和初期、大熊の天皇水に国の要人が訪れた。 1927年(昭和2年)、宮木清元院前で田植えの準備。 1927年(昭和2年)、宮木清元院前で共同の田植え作業。
町村合併時まで利用されていた以西小学校教員住宅。(池田家門の北隣に建っていた。) 昭和初期、以西小学校実習田での高等科生徒による田植え準備(校舎の裏側) 戦時中の大日本国防婦人会
1923年(大正12年)新築の校舎前。
(東校舎、玄関西向)
1899年(明治32年)建築の以西小学校大父分校。 (平田ヶ平部落の北側に建っていた) 1954年(昭和29年)に改築された以西小学校大父分校。1963年(昭和38年)本校に統合され廃校。 1961年(昭和36年)大父橋とその周辺の県道完成。先に見えるのは改築後の大父分校。
昭和初期、山川青年会の演芸会 大正末期、大熊青年会の荒神講記念
戦前の稲藁の保存風景(藁すすし)
船上山正道館。鳥取県教育会が紀元二千年記念事業として皇国民練成のための道場を船上神社南側に建設。建坪35坪。 正道館での研修生宿舎が茶園原北の中腹に2棟と館長宿舎が建っていた。戦後、赤碕中学校の寄宿舎となる。 町村合併前の以西村役場。国実部落の北側にあった。後ろは奉安殿を移築した倉庫。横はガソリンポンプ車庫。
元弘帝(後醍醐天皇)が上山された記念として、1924年(大正13年)鳥取県教育会によって建立された船上山行宮之碑。 同左 地元住民の奉仕による碑の引き上げ作業。途中茶園原にて休憩。数日かけて引き上げられた。 同左 碑の建立が終わり一休み。
戦時中の木炭作りのための炭焼小屋と炭窯 炭焼小屋の前で木炭の原木を積む作業 昭和30年代、山川部落(炭原)での和牛の共同放牧。
1959年(昭和34年)伊勢湾台風で県道決壊 (大熊部落北側、森林組合付近) 1959年(昭和34年)伊勢湾台風で大熊部落南の大門橋流失 1940年(昭和15年)二宮尊徳銅像除幕式
元弘3年5月、池田家が後醍醐天皇から頂戴された金銀の扇子 同左 お茶臺と箸 町村合併後の1954年(昭和29年)、以西小学校旧校舎を利用して開所した以西保育所。
以西診療所。昭和40年代まで池田家の北側にあった。 大熊公民館落成記念。1954年(昭和29年)7月18日。後ろはステージ。 1954年(昭和29年)以西青年団運動会で大熊支部優勝。公民館での記念撮影。
大熊の女性達による忠臣蔵寸劇の後の記念撮影。昭和初期。 大熊神社遷宮記念。1974年(昭和49年)10月19日。 1950年(昭和25年)10月6日午後3時。船上山遷宮の日、赤碕中学校3年E組。
年月日、場所不詳。昭和30年代でしょうか?山川の方が多いようですが、ご存知の方教えてください。 1954年(昭和29年)に改築された以西小学校。1970年頃、池田家北側から撮影。 20世紀末で姿を消した衣掛の松。山川部落南側にあった。
1987年(昭和62年)秋、台風19号災害(大父入口付近) 1987年(昭和62年)秋、台風19号災害(山川部落東側県道沿) 1954年(昭和29年)に改築された以西小学校。春、銀杏木の下から撮影。
以西農協稚蚕飼育所跡。1950年代でその役割を終え、その後、1990年頃まで雑貨屋(通称飼育所)として地域に親しまれた。 1998年、以西小学校旧校舎。6年生教室での授業風景。 1998年6月、以西小学校旧校舎お別れ会当日。2階、2年生教室前の廊下。
1998年、以西小学校校舎新築のため、正面玄関から東側が解体された旧校舎。 1999年、以西小学校新築工事。前面に見えるのは解体された旧校舎。

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