サロン 「キハ80・181系」
このコーナーは写真集「魅惑のキハ80・181系」に未収録の作品を紹介します。現在HP容量のため作品追加をお休みしています。作品追加アップはしばらくお待ちください。
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キハ80系 “北海” 落部〜野田生間にて 1983,8,7 |
早朝の噴火湾沿いに札幌をめざす“北海”。そのほとんどの乗客は青函連絡船からの乗り継ぎでした。 |
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キハ80系 “おおとり” 七飯付近にて 1983,7 |
七飯付近から新線(通称「藤城線」)の高架区間を駆け抜ける“おおとり”。 |
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キハ181系 “南風” 黒川〜讃岐財田間にて 1984,3 |
撮影当時四国の特急は“しおかぜ”とこの“南風”のみでした。現在の四国の状況とは隔世の感があります。 |
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キハ181系 “あさしお” 久谷〜浜坂間にて 1987,3 |
山間にエンジン音を響かせながらキハ181系8両編成の“あさしお”が、眼前を通過していきました。 |
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キハ181系 “いそかぜ” 玉江〜三見間にて 2000,7,9 |
昭和60年3月改正で登場したキハ181系“いそかぜ”は、開始当初米子〜博多間の運転でした。 |
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キハ181系 “いなば” 郡家〜河原間にて 2000,8,15 |
因美線・智頭急行線・山陽線経由で鳥取〜岡山間を結びました。 |
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キハ80系 “北斗” 1984,8 |
この夏の多客期は基本7両+4両の11両編成の“北斗”が運転されました。 |
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キハ80系 “北海” 札幌にて 1986,8 |
夜行急行列車乗車前のスナップ。北海道のキハ80系もこの頃には、終焉が迫っていました。 |
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キハ80系 “南紀” 梅ヶ谷〜紀伊長島間にて 1984,11 |
この場所で撮影したいがために、前日紀伊長島の駅前旅館に投宿。旅館から地図を頼りにかなり歩きました。 |
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キハ181系 “はまかぜ” 香住〜鎧間にて 1993,5,4 |
この日は先頭にキハ181が増結された編成でした。まだ智頭急行線の開業前で、この区間もDC特急が“あさしお”、“エーデル鳥取”、“エーデル北近畿”など華やかでした。 |
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キハ181系 “おき” 浅利〜江津間にて 1994,7,9 |
山陰海岸の美しい松林の減少は、近年かなりすすんでいます。この場所も美しい松が失われつつあり残念です。 |
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キハ181系 “いなば” 松崎〜倉吉間にて 1996,3,21 |
この年の3月ダイヤ改正により誕生した米子〜鳥取間のビジネス特急“いなば”。鳥取〜岡山間運転の“いなば”とは、ヘッドマークのデザインが異なりました。 |
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キハ80系 “北海” 蕨岱〜黒松内間にて 1983,8,1 |
駅から静かな原生林の中を一人撮影地に向かいました。“北海”が周囲の静寂を一瞬切り裂きます。 |
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キハ80系 “まつかぜ” 松崎〜倉吉間にて 1984,3 |
昭和57年7月改正から付属編成3両(多客期4両)が、大阪から米子まで運用に就くこととなりました。 |
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キハ181系 “あさしお” 和知〜安栖里間にて 1983,10,20 |
雄大なトラス橋とキハ181系をいかに作図するかを撮影場所で悩んだあげく、このアングルを試みました。 |
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キハ181系 “はまかぜ” 下市〜御来屋間にて 1994,4,3 |
ヘッドマークの盗難によって、簡略化されたマークが一時期使用されることとなりました。白地に紺色の文字マークも存在しました。 |
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キハ181系 “はくと” 浜村〜青谷間にて 1996,3,20 |
“はくと”はHOT7000系“スーパーはくと”と競合しながら、智頭急行線を走行した初のキハ181系特急でした。 |
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キハ181系 “いなば” 河原〜国英間にて 2002,11,17 |
最後の紅葉の風景を行く“いなば”。国鉄色キハ181系の活躍は転機が毎年のように訪れそうです。 |
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