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“ZAP
MAMA”を始めたシンガーのマリー・ドルヌは、ベルギー人の父親と、アフリカ・ザイール人の母親のもと、母方のザイールで生まれた。3歳の時、戦禍を避けるために原住民のピグミー族としばらく起居。物心がつくかつかないうちに、ピグミーたちが伝承してきた古来の音楽や文化を擦り込まれることになる。父親を亡くしベルギーに転居してからは、スティービー・ワンダー やロバータ・フラック らのアルバムを聴く一方、母親からはピグミー族の歌を教えられる少女期を過ごす。その頃は、母の教えが退屈で仕方なかったのが、18歳で一度ザイールに還ると、それまでの体験が一気にはじけた。ピグミーの音楽やルワンダの伝承歌に宿る原初的和声やリズムを全身で受信して発憤。ベルギーに戻るとすぐに女性5人のアカペラ・コーラス・グループを結成。英語とフランス語のほか、スワヒリ語やウォロフ語などを操る独創的なスタイルで活動を始めた。それが“ZAP
MAMA”のスタート。'91年にグループ名を冠したファースト・アルバムでデビュー。ベルギーで1万5000枚、ヨーロッパで10万枚を売り上げるヒットを記録。'93年になってアメリカ発売されると、ビルボード誌のワールド・ミュージック・チャートで19週間連続1位となり、グラミー賞にもノミネイト。アルバムを制作するのが、デビッド・バーンの主宰する“ルアカ・ボップ”だったのも手伝って、全米にも一大ブームを引き起こすことになる。'94年にセカンド・アルバム『Sabsylma』を発表してさらに波に乗ると、女声のアカペラ・コーラスに限った公式を取り払い、より広範な音楽と手をつなぐ方向にシフト・チェンジ。そこで、'97年のサード・アルバム『7』から、“ZAP
MAMA”を名乗りながらも、中身はマリー・ドルヌのプライベートな音楽コンセプトとするスタイルに移行。ソウル、ヒップ・ホップ、レゲエまで視野に入れ、フィービー・スノウやエッタ・ジェイムスのナンバーをカバー。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカを貫く冒険の荒野に勢いよく飛び出していった。その収穫が豊かな実を結ぶのが、'99年作品の『ア・マ・ゾーン』。レコーディングをアシストしたのは、フィラデルフィアのヒップ・ホップ・シーンを引っ張る“ザ・ルーツ ”、カメルーンからアフロ・ポップを発信した重鎮マヌ・ディバンゴ 、さらに、アレステッド・デベロプメント 出身のスピーチ 。これらの強力なプレゼンスをただ拝借するのでなく、新曲を共作するなどインタラクティブな創作で話題をさらった。すると、“ザ・ルーツ”とのフレンドシップを追い風に、'00年なるとニューヨークに転居し、スピアヘッド 、キング・ブリット 、コモン 、エリカ・バドゥ らのレコーディングに参加。同'00年公開の映画『ミッション・インポッシブル2』のサウンドトラックでもフィーチャーされるなどして、アフロピアンの使命を次々に果たしてきた。最新作は、N.Y.生活を始めてからの成果を凝縮した『アンセストリー・イン・プログレス』。 |
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