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| FAVORITE ARTIST |
「ヒップ・ホップ、ファンク、ロック、メタル、ジャズ、ブルース。俺はどれも好きなんだ。ジョニー・キャッシュやレーナード・スキナードを聴きながら育ったけど、それと同時にラップとターンテーブルにも愛情を抱いてきたんだよ。俺みたいな子供はいっぱいいるよ」ボブ・リッチーことKID ROCKは、ミシガン州ロメオという町で育った自他共に認める田舎者。18歳でJIVEとレコード契約を結ぶまでは、リンゴ農園で働いて生計を立てていたというのは本当の話し。ランDMCやフーディーニに触発されたキッド・ロックはハイスクールの頃から、ターンテーブルをまわし、黒人が大半を占めるアンダーグラウンドのパーティーを次々と荒らし、キッド・ロックの名を得た。"Watch that white kid rock!/ロックしてるあの白人のガキを見ろよ!"と。 88年より音楽活動を開始したキッド・ロックは、アルバム『グリッツ・サンドウィッチズ・アンド・ブレイクファースト』(90年)でデビュー。間もなくアイス・キューブ、トゥ・ショートらと共に全米20都市を巡るツアーを敢行し、その激烈なパフォーマンスで確実に知名度を上げていった。 また、93年に2ndアルバム『ザ・ポリフューズ・メニュー』と『ファイヤー・イット・アップEP』を発表後、自身のレーベル<TOP DOG>を設立。この頃より、ヘビィ・メタルとハードコア・ラップをゴチャゴチャと混ぜ込んだサウンドを堂々と披露していく。さらに、それと同時期に現在のバック・バンド、トゥイスティッド・ブラウン・タッカーと出会ったことにより、演奏自体がすこぶる重厚的なものに変化したとも言える。98年に発表したアルバム『デヴィル・ウィズアウト・ア・コース』で、ロック・ファン/ラップ・ファンの両方(といっても白人のみ)から多大な支持を獲得。その名前をマスに轟かせることに成功した。 それまでの作品の最高セールスは1万7千枚だっというキッド・ロックが1000万枚突破という超人的成功を遂げた起爆剤となったのは、アルバムからの3rdシングル「バウィットダバ」のビデオがMTVで大量OAだった。13週間もの長期にわたりMTVのリクエスト番組でOAされ続け、瞬く間にキッド・ロックの名は全米中を駆け巡り、トゥイステッド・ブラウン・トラッカー・バンドをバックに従え、リンプ・ビズキット、ステインドとともに全米をツアー。1999年8月にはウッド・ストックにも出演。1999 MTV MUSIC AWORDSでも「バウィットダバ」が2部門にノミネートされ受賞式ではパフォーマンスを披露(しかもエアロスミス、ランDMCとの競演)さらに"1999Billboard Music Video Awards"にも「バウィットダバ」 がハードロック、モダンロック、ポップの3部門のベスト・ニュー・アーティスト・クリップにノミネートされた。2000年2月に行われた第42回グラミー賞でも「ベスト・ニュー・アーティスト」賞と「ベスト・ハード・ロック・パフォーマンス」賞の2部門にノミネート。『デヴィル・ウィズアウト・ア・コーズ』のアルバム・セールスは全米だけで1000万枚(ダイアモンド・ディスク受賞)を突破した。 しかし、彼はラップという表現手段に特にこだわっているようすはなく、01年作『コッキー』、03年作『キッド・ロック』ではラップを見せつつも、カントリー〜近代ロックに大幅にアプローチ。「白いサウンドでメイク・マネーするなら最初からラップすんなよ」とは筆者の言葉ではなく、全ヒップホップ人が心のうちに秘める言葉である。 キッド・ロックのバック・バンド"トゥイステッド・ブラウン・トラッカー・バンド"のDJとして活躍するアンクル・クラッカーもキッド・ロックの全面プロデュースにより2000年8月にアルバム『ダブル・ワイド』でデビューしたが、現在(2001年5月)シングル「フォロー・ミー」が全米シングル・チャートTOP10入りを果たし、アルバム・セールスも100万枚を越え、プラチナムを獲得している。 |
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